2019年4月18日木曜日

北陸北信ツーリング その3

前回のあらすじ
 
黒丸城って2つあったんやね~
現地に来てから気付いたわ(^^;)
 
2つの黒丸城に手間取ったお陰で、もう15:30。
海岸沿いに国道を走って三国湊や安宅関なんかにも寄ってみたいと思っていましたが、金沢城は訪れておきたいので、そこから時間を逆算すると、国道経由のルートでは無理っぽいですな。
というわけで、北陸道に戻って金沢まで一直線で時間を節約。
時間節約で高速を使ったとは言え、去年も、その前も実感しましたけど、この時期の北陸道はいいですな(^^)
石川県に入ると北陸道は海岸沿いを走って行くわけですが、春の海の雰囲気を感じながら遠目には白山の残雪が見え、なんとも趣があります。
そうこうしている間に金沢市内に入り、金沢西I.C.で北陸道を降りて東へ。
幹線道路を走り、国道157号線を北へ走れば、金沢城はすぐそこです。
前回来た時は、金沢城にはまだ金沢大学の一部が残っていた時代で、石川門の前まで行って、散策は全部移転してからにするかと思った記憶がありますな。
あれから17年。
二ノ丸五十間櫓も復元され、城として十分な雰囲気を持つようになりましたね。
金沢城の南側の駐輪場にバイクを止め、散策開始です。
まず出迎えてくれたのは、造られた時期が異なる石垣たち。
 
 
玉泉院丸の東面の石垣で、本丸付段にある三十間櫓の下辺りになります。
ここの石垣は時代がバラバラなので表情が違い、刻印も多く、なかなか見応えがありましたな。
次に玉泉院丸庭園。
 
 
池泉式の優美な庭園です。
外国人観光客の人がたくさんいました。
日本庭園も最近は人気のようですしね。
この玉泉院丸から今の尾山神社のある金谷出丸には、木橋が掛かっていました。
この鼠多門と鼠多門橋は、発掘と復元の工事中だそうです。
 
 
もちろん立ち入り禁止なんですが、工事の様子は見えるようになっていました。
鼠多門から庭園をそのまま廻って北側へ行くと、有名な色紙短冊積石垣があります。
 
 
この石垣は、日本で一番有名な石垣かもしれません。
この一角は色合いも豊かで、美術館の屋外展示型オブジェの趣さえありました。
文化の都金沢を、まるで集約した感すらありますね。
この玉泉丸から登って行くと、いよいよ金沢城の政治の中心であった二ノ丸。
 
 
うむ、広い。
当時は二ノ丸御殿があり、これほどは見渡せなかったでしょうが、御殿もどれほどの広さだったのか。
焼失が惜しいですね。
今や金沢城のシンボルとなった菱櫓と五十間櫓と橋詰門。
 
 
壮観ですな。
こんな長い二重多聞櫓は初めて見ますわ。
ほんと豪壮としか言いようがない。
ただ、開館時間を過ぎていたので、中には入れませんでした。
ま、復元やし、いいかな(^^;)
次は、写真右手の橋詰門へ。
 
 
桝形なので、櫓門は橋詰門の二ノ門です。
ここの石垣も綺麗ですな。
桝形を出て、高麗門形式の一ノ門。
 
 
右の櫓は橋詰門の続櫓。
堀沿いに歩いて行くと、五十間櫓と菱櫓の表の顔が見えます。
 
 
下から見ると、さすがに迫力がありますな。
この菱櫓は、三ノ丸の城門のひとつである河北門が見下ろせる位置にあります。
もちろん連携を狙っての事でしょう。
その河北門へ。
 
 
ここも櫓門の桝形です。
もう1枚。
 
 
門の右手には変わった部分がありますね。
そして、その背後には菱櫓が。
重厚かつ重層的です。
これぞ城!という感じ(^^)
この河北門の先は新丸広場。
名前からすると、江戸期に拡張された部分なんでしょう。
今はだだっ広い空間となっていました。
続いて、三ノ丸へ戻って石川門へ。
 
 
石川門は、他の門と違って現存建物です。
この石川門の桝形石垣は、修復の時代の関係で、石垣が全く違うので面白かったですね。
金沢城では、石川門と河北門、橋詰門で御三門と呼ぶそうです。
確かにどれも桝形門で、立派ですわ。
ちなみに、河北門には櫓が付随していませんが、当時は石川門のように続櫓があったようです。
資料が足りず復元されませんでしたが。
つまり、御三門は同水準の構造だったわけですね。
次は、三ノ丸へ戻って鶴ノ丸へ。
鶴ノ丸付近には、東ノ丸の北面石垣が残っており、尾山御坊から尾山城、そして金沢城へと改修された頃の石垣が残っています。
 
 
野趣溢れる野面積の石垣。
これぞ戦国の城という感じですな。
更に歩を進めると、鶴丸倉庫があります。
 
 
この倉庫も現存で、貴重な建物ですな。
陸軍が接収した後、修理されたようで、なんとなく近代風でした。
ここから登ると東ノ丸です。
 
 
そして本丸へ。
 
 
ん~、この2つの郭は、なんか放置な感じ。
二ノ丸との落差にびっくりします(^^;)
昔は園地として使われていたような痕跡はあるんですがねぇ
本丸北東の辰巳櫓跡からは、兼六園が見えました。
 
 
ちなみに辰巳櫓の石垣は、明治期の改修で石垣の形が変わってしまっており、やたらと細いです(^^;)
ちょっともったいないなぁ
それに対し、二ノ丸や三ノ丸に面する丑寅櫓跡と戌亥櫓跡はきちんと残っていました。
 
 
 
そして、更に進むと、本丸付段にある三十間櫓が。
 
 
これも現存建物です。
なんかポンと現れるのでびっくりしますが(^^;)
この三十間櫓から下りると駐輪場に戻ってきます。
その駐輪場の近くには、石垣の増設の跡が。
 

中央に筋が見えますね。
初期の隅部だった部分です。
最後に、陸軍によって改変された本丸辰巳櫓の直下をば。
 
 
湾曲した下段の石垣が陸軍の手によるものです。
結果的に勇壮な4段石垣になっていますが、下段は谷積ですし、やはり時代不詳な雰囲気になってしまってますね。
ま、それも時代の変遷を表すもので歴史の一部ではあるんですが。
 
満足感を漂わせて金沢城を出たのは18時前。
幹線道路に戻るのが遠回りだったので、金沢城の前身である尾山城や尾山御坊の名前を引き継いでいる尾山神社から路地を辿って昭和大通りへ。
そこから元来た道に戻って、国道8号線へ向かいます。
途中でバイクに給油をし、辿り着いた国道8号線沿いのテルメ金沢が本日の宿。
しかし、結構広い駐車場があったのに満車でビビりましたわ。
そんなに人気の温泉なのか!
中に入ると、典型的な健康ランド。
健康ランドもスーパー銭湯型温泉に押されて数は減りましたが、それなりに根強い人気を保っているようです。
ひとまず、黄味掛かった湯量の豊富な温泉で、人は多かったけど色々と楽しめました。
明日は念願の千里浜。
何とか晴れて欲しいですな。
 
つづく
 
参考:
金沢城
兼六園
金沢松島温泉
地図付きはこちら
 

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