2016年4月23日土曜日

東九州縦走 その6

前回のあらすじ
 
鬼の洗濯板とはよく言ったもんですな。
なかなか見られない奇勝で想像以上に良かった。
 
清武城から、また細い山道を戻るわけですが、今度は宮崎道を越えず、そのまま側道を下って行くと、やがて県道13号線へと出ます。
この道をそのまま北西方向へ走っていくと、高岡町の穆佐という所へ出るのですが、ここにはかつて、南日向で重要な役割を果たした城がありました。
日向三高城のひとつ、穆佐高城です。
名前としては、単に穆佐城とも、穆佐院高城とも呼ばれますね。
南北朝時代には畠山直顕が本拠としてその活動の中心とし、南北朝時代終結後には島津家と伊東家の間で取り合いとなり、後に島津宗家を強引に継いだ久豊も一時期は城主として在城しています。
久豊の子忠国も、この城の生まれでした。
城跡は、旧穆佐小学校の東側にあり、現在の穆佐小学校から国道28号線を挟んだ反対側にあります。
当初、下調べの情報が古いままランドマークとして穆佐小学校を見ていたので、どこに城があるのかちょっと混乱しましたが、現地に行くと新小学校は遠目でもとても新しく、ああ移転したんやね、ということがすぐに解りました。
旧小学校は体育館だけが地域の体育館として残されており、そのすぐ横が城です。
ちなみに、旧小学校は水害があって移転したそうなんですが、確かにここは麓川と瓜田川の合流点となっており、標高も高くないですね。
城の南と東を麓川が、北を瓜田川が洗うというのは、防衛上はすごく有利なんですが、ひとたび大水が出たとなると、合流点の麓は水浸しになりやすそうです。
城の健在だった昔は、周囲は深田や沼田だったのかもしれません。
 
体育館横の駐車スペースにバイクを止め、護国神社経由で城へと入って行きます。
城内でまず目に入るのが、忠国が誕生した際に植えられたという誕生杉の案内。
 
 
明治7年に焼失してしまったらしく、今は2代目のようです。
この誕生杉がある所一帯が坪ノ城という二ノ丸ですね。
平坦かつ広い場所で、その当時からすでにここは居住区だったということになりますか。
 
 
その先には、現地の縄張図でいうところのA地区とB地区を区画する巨大な空堀がありました。
 
 
空堀左手のB地区が主郭なんですが、右手のA地区が城内最高地かつ小さな郭が配置された技巧的な区画であり、瓜田川に迫るように築かれた最も初期の城域だったのかもしれません。
詰城的な性格のA地区だけが初期にあったのか、居館と詰城という形式でA地区と居住区としてのB地区が同時に整備されたのかはわかりませんが、A地区を見て回ると、郭群からやや下がった場所に切岸に囲まれた稲荷神社の削平地があり、居住区域としてはちょうどいい場所にあるんですよね。
つまり、A地区だけで居館と詰城という関係性を持つ部分があり、単独で完結してると言えばしてるんですな。
となれば、A地区だけが本当の初期の城という可能性が高かったように思えます。
穆佐院という地方荘園の政所としては、ほど良い大きさかなとは思うんですが、実際はどうだったんでしょうか。
全体としては、A地区及びB地区から、C地区、さらにはD地区と、時代を経るに従って拡張されて行ったのは間違いありません。
写真で見ると、A地区はこんな感じです。
 
 
 
上がA地区東側の例の稲荷社の上にある郭で、下がA地区西側の郭です。
この郭は、広さ的に恐らくA地区の最も大事な郭でしょう。
対してB地区。
 
 
 
上が、主郭と呼ばれた城の中心へ向かう通路ですが、往時は手前も奥も郭でした。
そして下が2段構成の主郭。
ただっ広いですね。
発掘調査から、主郭には建物類も沢山あったことが判っています。
正に城の中枢。
B地区の先には家臣の居住区域だったC地区と区画する大堀切があります。
 
 
ただ、主郭の先の遊歩道は立入禁止になっていて、こちらからは行けませんでした。
自分が城へ入った方向とは反対側の道から山に入れば、C地区、D地区へ行く事ができるようですね。
この日は陽も落ちてしまったので、これ以上の散策はできませんでしたが。
 
穆佐城の散策を終えると、もう薄暮の時間となっていました。
やっぱり、秋はつるべ落としと呼ばれるほど早いなぁ
予定が押すと、もう少し散策したいと思っても、延長戦ができない・・・
ちなみに、この日の宿泊予定地は延岡。
おかしい。
佐土原城にも寄れるなら寄って、延岡へ日暮れ過ぎに到着かな、という予定だったのに、こんな暗さでまだ宮崎。
おかしい。
志布志と日南で時間を取られすぎた・・・
海岸線のうねうね国道は舐めたらあきませんな。
予想以上に距離が長く流れるスピードも上がらない。
そんなこんなで、もう暮れてしまったものはしょうがないとして、宮崎西I.C.からさくっと高速で延岡を目指します。
その距離、約85kmほど。
暮れてから動く距離じゃないな(^^;)
延岡の宿に着いて荷物を下ろし、フロントの方に夕食が摂れる適当な所はないかと聞くと、歩いて行ける距離にチキン南蛮発祥の店があるとのこと。
なぬ?
チキン南蛮と聞けば、迎え討たないわけにはいかぬ!
というわけで、チキン南蛮とチャンポンが売りというおぐらへ。
 
 
中はファミレス形式となっています。
頼んだのは、チキン南蛮とチャンポンのセット。
 
 
出た!
また食べかけや!
野菜から食べてたんで、元はもっとキャベツがありましたな(^^;)
なんというかね、ご飯を写真に撮る習慣なんて無いもんやから、運ばれて来たらすぐ食べるという一連の動作は止められないんよな・・・
ちなみに、量は結構ボリューミーで、もっと多いセットもありました。
今でも割とヤセの大食いやけど、学生の頃やったらたらふく食ってたやろな(笑)
チキンも柔らかくてジューシー。
なんか特別な下拵えでもしてるんかな?
とにかく旨し!
あと、ファミレス形式ですが、店員さんがよく気が付いて、箸を落としたらすぐに届けてくれるし、地図を開いてルート整理していたら水を足しながらどこに行ってきたんですかと声を掛けられたりで、とってもアットホームな店でした。
居心地が良くて、延岡のいい思い出になりましたわ(^^)
 
つづく
 
参考:
穆佐城
地図付きはこちら
 





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