2016年3月23日水曜日

東九州縦走 その2

前回のあらすじ
 
危なかった・・・
荷物満載で泣きながら神戸に帰る図を想像したよ・・・
 
前回に乗った神戸~大分のフェリーと違って、大阪~志布志便はトラックの利用が多かったですね。
バイクも、全部合わせて10台と少しだけ。
船内のお風呂も乗り慣れてそうな人達でいっぱいでした。
夕食は船内のバイキングで済ませ、開催されていた星の観察教室に漆黒の中で星を見たいと参加し、なかなか快適に暇潰しをして就寝。
寝る頃はもう外洋なので、時々傾いたGを感じる事はありましたが、まぁまぁ寝ることができました。
寝られるかどうかは、ちょっと心配していた部分ではあったんですが、杞憂に終わって一安心。
翌日は6時前に目が覚めて明けの明星を見に出ましたが、もうかなり明るかったので近くにあるはずの火星は見えませんでした。
あとはだらだらと朝風呂、朝飯をこなしつつ8:55の到着まで時間を潰し、トラックが出払ってから出発許可。
志布志の港にはもう車やトラックの影は無く、渋滞無しの快調な出だしです。
港から向かうのは、近所の志布志内城。
志布志一帯の支配の中心ですね。
古くは島津一門の新納氏、その没落後は豊州島津氏、更には大隅の肝付氏が領した城で、戦国時代の大部分は有力領主の本拠でした。
鹿児島の黎明館で模型を見て以来、1度は行ってみたいと思っていた城です。
 
城は、志布志の旧市街の北側にあるので、非常に狭い旧市街の道を抜けて志布志小学校方向へ。
内城の案内が見えなかったので1度県道65号線に出てしまいましたが、引き返してくると、小学校の裏門の横に案内を見付けました。
この段階で9:30。
秋ながら気温は高く、登ると汗が出てきますな。
まず、シラス台地らしい垂直に切り立った堀切が出迎えてくれます。
ああ、南九州の城に来たんやなという景色ですね。
 
 


そして、まずは矢倉場と呼ばれる城の突端部。
草が結構繁茂してるので、写真では特徴の無い原っぱですが・・・
一応櫓台も確認できました。
 
 


更に少し登ると、縄張図では曲輪2と名前が付いている高低差の非常に大きな2段の郭があります。
この郭、名前の通り無名なんですが、土塁も確認できるし、規模もそこそこ大きく、見応えがありました。
また、下の矢倉場も見下ろせます。
この北向かいには、空堀を挟んで本丸があります。
 
 


本丸は2段構成で、杉林となっている上段はかなり広かったですね。
縁辺には土塁とそれに続く櫓台があり、その上に三宝荒神の小さな社がありました。
 
 


本丸の北東側には、戦国時代頃に拡張された久尾と呼ばれる区画が続きますが、本丸とはかなり大きな堀切で区画されています。
本丸から見ると、転げ落ちそうなぐらい・・・
本丸上段の桝形虎口から下り、久尾方向へ行くと、搦手があります。
ここも相当切り立った通路となっていて、南九州の城らしさが感じられますね。
 
 
次は本丸から堀切を挟んである中野久尾の手前側、と行きたい所ですが、倒木で行けなかったので、先に中野久尾の奥側へ。
縄張図では曲輪5となっている場所ですね。
この曲輪5は上下2段構成で、下段は半藪化していますが、上段は視界が開けていました。
下は、櫓台から上段の全景。
 
 


中野久尾の手前側、曲輪4と呼ばれる場所は、前述のように正面は倒木で塞がれていたので入ることができず、止む無く曲輪5側から侵入を試みます。
この堀切から直登ですな。
 
 
この曲輪4の際まで登ると、切岸の上、郭の端に竹が密生していたのですが、その竹を掴んで体を郭まで持ち上げようとした瞬間、ぬるっとした感触が。
うわーなんか触ってもうたー!!
竹の反対側にアブラムシか何かが密集してて潰したのかとちょっと鳥肌が立ちましたが、よく見てみると、竹に何か小さなキノコか粘菌のようなものが付いていたようです。
とは言っても、洗うところも無いのでその後はずっと掌が黄色い汁まみれだったんですけどね(^^;)
ただ、あまり人が入らないせいか、郭の内部は藪ってました。
 
 
曲輪4から北西側に下りると、大きな空堀に出ます。
志布志内城は、城内各地の堀切がそれはそれは見事な規模と形なんですが、この空堀は特に別格ですね。
主郭部の北西側を貫いて掘られている堀で、何かの映画に出てきそうなぐらい超の付く大きさ。
一見の価値有りですね。
いや~見事ですわ(^^)
 

 
中野久尾の北東には、更に堀切を挟んで大野久尾という2段構成の広大な郭があります。
ただ、大野久尾に関しては、少し前まで農地だったようで、農機具搬入の為の農道がズドンと真ん中に掘られていました。


縄張図には、この道はありません。
内部はただただ広大な平坦地。
 
 


居住区だったんでしょうね。
本丸も同様ですが、これら中野久尾上下段、大野久尾の虎口は、ほぼ全て食い違いや桝形になっていました。
なかなか近世的な容貌の城だったようです。
 
大野久尾を下りた所には、当時は無かった通路ですが、車両も入れる通路がありました。
大野久尾の農道と同じような感じで、農地時代に造られた道かな?
志布志小学校側の入口で会った地元の人によると、小学校側の遊歩道は細いので、今後はこっちの道がメインの登城道になるようです。
その道を下りて行くと、どこかの職員の方が草刈をしていました。
これで内城の散策は終わったんですが、この日は秋なのに暑かった・・・
朝風呂の後に着替えたTシャツが、もう汗でビチャビチャです。
おい・・・僅か1時間でオシャカやがな・・・
着替えの予備セットなんか持ってきてないのにどうしてくれる!
しょうがないので、前日に着ていたTシャツを引っ張り出して着ました(> <)
でも、この辺りは湧き水が豊富で、集落を流れる小川の水も非常に豊か。
集落の一角に湧き水を汲める場所があり、そこで顔を洗って体を拭き、気持ち悪さを解消!
凄く助かりました(^^)
 
つづく
 
参考:
志布志内城
地図付きはこちら
 



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