2015年6月18日木曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その8

前回のあらすじ

13年越しの野望、鷹ノ原城 完結!
 
南関からは再び九州道に戻って北上し、みやま柳川I.C.へ。
下りてそのまま西へ進むと国道443号線に出るので、突き当りまで直進して、右折。
この突き当たりの部分は工事中で、有明海沿岸道路というのが建設中らしい。
確かに鳥栖や久留米を中心に十字の交通網は昔から要道として発展してるけど、筑後川という天然の遮蔽物もあって、沿岸を結ぶ道が国道208号線しかないっぽい。
国道3号線も九州道も内陸側。
そりゃ混みますわな。

ゆくゆくは側道になるであろう道を少し走り、国道208号線へと左折し、更に柳川市街地に向けて左折すると、柳川城跡の柳川高校と柳城中学校に面する道に出ます。
この道は広い道なのでバイクを止められず、一旦裏側に回って止め、柳川城の散策をば。
ただ、城の遺構は学校の敷地内にあって立ち入りに許可がいると思われるので、両校の間の道を歩いて石垣と天守台を確認しました。

 
こうやって見ると風情がありますが、縄張図を見る限り、本丸と二ノ丸は塀で区切られていたのみで、両校の間に少しだけある堀はどうも後世のものらしい。
風情ありすぎて騙されそう(笑)
柳川城の痕跡は、川下りに使われる水堀が主なもので、平地だけにそれ以外の遺構は都市化の為にほとんど残っていないようですが、前に来た時は堀沿いに○○城門跡といった石碑を見たので、細かく散策すれば色々と痕跡は示されていると思います。
でも、今回は前回見逃した天守台が目当てだったので、これだけでOK。
天守台といってもこんな風に低くなってしまってますけどね。

 
でも、実際に見たという感慨は十分ですな(^^)
 
さて、次は柳川城主だった蒲池氏の発祥となる蒲池城。
柳川とは、ご近所でありがたいですな。
しかも、柳川高校の東側の道を北上すると到着するという有り難い場所。
土地勘の無い人間には有り難いですな。
何回有り難い言うとんねん(笑)
でも、写真を見ると解りますが、夕景迫る中の城探しというのは焦るものなのです。
少し迷って時間を喰ったりすれば、散策も思うようにならないぐらいあっと言う間に暗くなる秋の夕刻。
探す手間が掛からないというのは、本当にありがたい。

柳川高校から北上する道は、国道208号線との交点を境に国道385号線となりますが、南北を結ぶ幹線国道として、現在は拡幅が図られているようです。
蒲池城の城址碑は、拡幅の為に旧道のすぐ横に造られた新たな国道385号線のすぐ東側にあります。

 
この城址碑の周辺をぶらっと走ってみると分かるんですが、辺りはクリークだらけ。
この城が蒲池氏の本城だった時代も、各郭をクリークが囲う佐賀平野特有の城の形態だったんでしょうね。
クリークと平地なんてどうとでも手が入れられるから、江戸時代には格好の開拓場所になったと思われ、遺構の類はありませんでした。
まだ、当時を連想できるだけの雰囲気は残っていますが、これも新しい国道が開通してしまうと、いずれ大規模店の出店が進んで景色が一変してしまいそう・・・
しょうが無いことなんですが、なんとはなしに寂しい感じがしますね。
 
つづく
 
参考:
柳川城
蒲池城

地図付きはこちら
 

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