2013年9月29日日曜日

兵庫・ブロガー戦国トリップ 淡路冒険記!? その4

前回のあらすじ

台風一過の快晴になりつつあるとは言え、台風の影響は色濃く、私は倒木に敗れ去り、運転しながら酔うという失態を犯したのであった・・・


白巣城から引き返し、淡路島の島央部の道を南へと進むと、三原平野という所に出ます。
この三原平野というのは、古代から中世にかけては淡路島の中心で、国府が置かれていたほか、鎌倉時代から室町時代には守護所という守護大名の居館が置かれていました。
倒木に撥ね返された白巣城の次に向かうのは、この守護所です。
養宜館というのがその守護所で、淡路守護であった淡路細川氏の居城でした。
淡路細川氏というのは、管領を世襲して絶大な権力を誇った細川家の分家で、比較的早くに分かれた家です。
鎌倉時代の長沼氏の守護所ははっきりと確定していませんが、史料に細川氏が城に入ったという記述があることから、養宜館が鎌倉時代も守護所であったといわれています。
現在の状況はこんな感じ。



今でも土塁が東と北に残っており、居館らしさは健在。
もともと中世の居館というのは、館の四方に堀を掘り、出た土を掻き上げて土塁にする、というのが基本で、正方形や長方形が多く、非常にシンプルです。
これに出入口である虎口が進化して桝形や馬出というのが設置され、戦国時代の複雑な居館や平城へと変化していくわけですが、この養宜館はシンプルな時代に廃された為、そのような構造は持っていなかったようです。
北の土塁の外側には溝と土塁の間に水が溜まってましたが、昔の水堀の跡の証拠かな?
経験上、堀の跡ってのは親水性があって水が溜まり易いし。



養宜館の周りは田園地帯が続くばかりで何も無く、この何も無さが古城の趣を引き立てます。
そして、吹き返しの風が体を強めに撫でていくのですが、快晴の日差しがまだまだ強く、絶妙なバランスで気持ちよかった(^^)


養宜館の次は、道を西に辿って志知城に向かいます。
このお城に来るのは何年ぶりですかねぇ
そうこうしている内に志知に近付いてきたなと思ったら、大日川のところに志知城の案内板が。
こんなのは前に来たときは無かったはず。
少しずつではありますが、観光地として整備されている様子。
そして、その先には駐車場が完備されていた。
いや~前に来た時も車だったんで、止める場所を探してウロウロしたんですよ(^^;)
だから駐車場はかなりありがたい。

駐車場から、台風の影響で木材やらクッションやらが流れている大日川になんでクッションやねんとツッコミを入れつつ橋を渡り、川の土手から左斜め方向に進めばすぐに志知城です。



淡路には大きな城は洲本城ぐらいしかなく、お城にあまり詳しくない人でもお城とちゃんと分かるのは、志知城ぐらいじゃないですかね。
なぜなら、水堀がちゃんとした形で残っている城だから!
水堀があると俄然お城っぽくなりますな(^^)
ただ、城の内部に関しては肝心の本丸が藪ってます。
でも木や竹が切られて大分マシになった。
前に来た時は、本丸へ入るのが絶対不可能というぐらいの深い藪だった(^^;)
何もしなくてもお城っぽい雰囲気があるので、史跡公園として整備すれば、結構良い空間になる気がするんですがねぇ
ちょっともったいない。


志知城の次は、そのまま海まで西進して叶堂城です。
関東の古河城なんかが有名ですが、川沿いの城というのは、河川改修の犠牲になりやすい。
この叶堂城もそれら犠牲になった城のひとつで、遺構は消滅してますが、城址碑はあります。



また、城跡に建っていた感應寺という寺が改修時に東へ300m移転していますが、この寺の土台に野面積の石垣があります。
穴太衆による復元の碑が近くにあるので、寺の移転時に石垣も移転、復元されたようです。
叶堂城の規模からすると、300m東へ行くと城外で、城外にこんな城中が見渡せる高台があったと考えるのは不自然ですしね。
でも、十分に往時の雰囲気が漂ってます。
石垣というのは、時代を経るにつれて野面積から打ち込みハギ、切り込みハギへと進化し、見た目が綺麗になって行きます。
同じ淡路では、切り込みハギの城は江戸時代の洲本城(山麓の城)しかありません。
感應寺の土台を左、5年ほど前に撮った洲本城の参考写真を右にして並べてみました。



写真じゃ違いが分かりにくいですが、やはり野面積とは趣が違いますな。
野面積は武骨さがあって良い。切り込みハギはちょっとのっぺりした感がある。
洗練された美しさがあるのは切り込みハギですけど、野面積は野趣があって、城の軍事拠点という役割が強く出てる気がします。
対して切り込みハギは、行政拠点という感じですな。
また、切り込みハギは見た目は綺麗ですが、水捌けなんかは野面積のほうが優れいるらしいです。
石垣を見ながら、したり顔で写真を撮る・・・
一般人からすると、もはや変人の域(笑)
でも撮らずにはおられない!


帰りは淡路サンセットラインを通って岩屋城と松帆の郷へ。



サンセットラインで撮ったんですが、ちょっと夕日には早かったですな。
本当なら、バイクの影と夕日という構図で撮りたかったのに、台風め!
代役がオッサンですが、勘弁してつかぁさい・・・

この道は海岸線ですが、コーナーは少なく淡々と走れる道です。
所々小さな休憩ゾーンがあり、夕日が楽しめます。
一度、夕日が沈むまで見てた事もあったな~
その頃はまだフェリー時代で、帰りにめちゃめちゃ船待ちをした記憶があります。
懐かしい・・・


淡路サンセットラインの終点は国道28号線ですが、この境目のところの岩屋港の近くに絵島という島があり、その向かい側に岩屋城という城があります。
岩屋城と呼ばれる城は2つあり、こちらは丘陵の名を取って絵島ヶ丘城や三対山城とも呼ばれます。
お城の周囲はこんな感じで、漁師町の家々が並ぶ路地。



人ひとり通るのがちょうど良いぐらいの道幅で、かなり風情があります。
こういう散策もなかなか楽しい(^^)
結局、お城に入れそうな道は無かったんですがね。
そうやってブラブラ路地を歩いていると、後ろからバイクが・・・
路地の幅は1mあるか無いか程度。
シャシャっと教習所のクランク状態の道を通って家に帰って行かはりました。
いや~、そういう環境になれば順応するもんですな。
リッターオーバーのバイクなのに軽やかやった。


淡路の最終目的地は松帆の郷。
ちなみに、ここはもうひとつの岩屋城。
俎板(マナイタ)山や松尾山と呼ばれる山にあったので、俎板山城や松尾城という呼び名もあります。
しかし、大正時代からの砂利採取で遺構は綺麗さっぱり無くなってしまいました。
そして、その採取場跡地に建てられたのがこの松帆の郷。
美湯とビューが掛かってるように、ここはもう眺めが特急品です。
携帯カメラなんでそんなに綺麗ではないですけど、こんな感じです。
夕景と、



夜景。



露天風呂はもう最高!
3時間ぐらいぼ~っとできる自信があります(笑)
脱衣所でやたら黒い人が多いなと思ったら、サーファーの一団が入ってたらしい。
淡路に来たら入って帰るのもよく解りますわ。
景色としてはほんま最高です(^^)


旅行記を書くつもりが、何故か冒険記になった今回の旅ですが、最後ぐらいはなんとか旅行記になったかな?
しかし、今回は本当に・・・
 台風か
    ああ台風か
         台風め!
ですな!
いやはや、自然には勝てないというのを痛感した旅でした(^^;)


参考:
養宜館
志知城
叶堂城
淡路サンセットライン
絵島ヶ丘岩屋城
俎板山岩屋城
岩屋松帆温泉
明石海峡大橋

上記地図付きはこちら

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