2015年5月8日金曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その2

前回のあらすじ

船の風呂から見える夜景最高!
 
フェリーで迎えた2日目の朝。
雑魚寝部屋の1人分のマットレスは幅が無く、寝返りも困難なぐらいでしたが、お客さんは少なく、四隅に配置されていたので、自由も利いて意外と快適でした。
思っていたよりもよく寝る事が出来たけど、それでも起床は5:45。
目覚ましの6時よりも早かった(笑)
環境が変わると早く目が覚めてしまうのは、おっさんの証明か。
でも、眠気覚ましに出た甲板の朝焼けは、雲にも趣があってなかなか良かったですな。

食堂で朝食を摂り、部屋でだらだらと到着までルートを確認した後、エレベーターが動き出してすぐにバイクの所へ。
ここから下船までかなり時間が掛かることは覚悟してましたが、結局下船は7:45。
予想より時間が掛かりましたな。
いよいよ、ここからがツーリング本番!
 
大分港を出て、まず向かう先は大友館。
隆盛を極めた豊後大友氏の居館跡です。
現在は、大友氏の菩提寺であった万寿寺跡と共に大友氏遺跡として国の史跡に指定されています。
と言っても、発掘調査で遺構が検出されたというだけで、特に目立った遺跡は無いらしい。
しかしながら、14年前にフラフラと場所を探して彷徨った身としては、寄らない訳にはいきません。
大友館が存続したのは、文禄2年(1593)の大友氏改易まで。
以降は新たな支配拠点として府内城という近世城が築かれ、江戸時代も存続し、今の大分市の市街地の中心となっていくわけですが、このふたつは、場所的には割と近い位置関係にあります。
直線にして1.2kmほど。
大友氏の城下町の大きさは宣教師の報告にもあるぐらいで、それをそのまま利用しない手は無く、当然と言えば当然ですな。
大分駅の前を通り、府内城のやや南を通る国道10号線を東進し、南へと曲がる辺りに大友館がありました。
現在の地名で言えば顕徳町。
この辺りは道が非常に整備されていて、綺麗です。
脇道にバイクを止めてしばし散策。
郊外の農地が広がる場所で、新興住宅地も混在しています。
この史跡内にある遺跡体験学習館とその周辺の風景は、こんな感じ。

 
視界の広さと秋晴れの空が相まって、清々しいですな(^^)
府内城から1kmちょっとで、江戸時代は城下町でもおかしくない距離なんですが、その頃からこんな感じだったんですかね。
交通量は幹線国道らしい多さなのですが、妙に長閑な場所でした。
 
続いて向かうのは、大友館の南の丘陵の拠点だったと見られる上原館。
かつてはここが大友館とされていました。
事前のリサーチで場所は知ってましたが、現地でこれを発見するとなると、相当な無理ゲー(笑)
それぐらい込み入った場所にあります。
そして、車で来るにもきついでしょうな~
涙目になること請け合い。
バイクで良かったですわ。
分かりやすい目印としては、芸術緑丘高校、爽風館高校、大分上野丘高校の3つの高校で、3校を三角形の頂点としたその中心にあります。
現在残っているのは、土塁の一部のみ。
ですが、東側や少し離れた北側の崖が今も残されており、地形的に要害の場所にあったことがよく解ります。

 
ちなみに、このすぐ南が古国府と呼ばれる場所で、大友氏の最初の守護所が置かれた場所。
最初期は、大友館のあった北側を守る為ではなく、南側の古国府の防衛、つまり古国府の詰城的な機能が主だったのかもしれません。
でも、桝形があるように、戦国末期まで存続したのは確実で、その頃は大友館を守る南の防衛線のひとつだったのは間違いないですな。
こういうのも、存廃年代が曖昧な城だからこその想像ですかね(笑)
これぞ歴史の醍醐味だ!
 
つづく
 
参考:
大友館
上原館
地図付きはこちら
 

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